知の時代と個性を伸ばす教育 (2001.7.14熊本日日新聞夕刊 第二回)
パソコンが要らなくなってきた。
道具は目的を達成する手段である。メールやインターネットが目的であれば、
パソコンは必須では無くなってきた。
携帯電話やデジタル放送に置き変わろうとしている。
インターネットの可能性はコミュニケーションにあり、地域を越えて個人同士
が繋がり、新しいコミュニティが生まれている。
テレビ、インターネットと電子商取引が一体となった「Tコマース」も始まろうとしている。
しかしパソコンの利用目的は本来何であろう。
私は「知の集積」「考える道具」と考えている。
膨大な情報を蓄積し、瞬時に解析し、思考を練り上げ、重要な決断のための道具である。
これを「ナリッジマネージメント」とも言う。
情報が情報を生む、即ち「知の再生産」でもある。
この分野ではパソコンがますます強みを発揮するだろうし、企業のIT投資の
大きな目標でもある。
20世紀を「工業化社会」とすれば、21世紀は「知の時代」とも言える。
情報の価値を見極め、キラリと光るアイデアを生み出す人が社会を引っ張る時代
ではないだろうか。
最近よく耳にするビジネスモデルはまさにこれである。
アイデアの模倣は許されない。
オリジナルである事が尊敬される社会が必要である。
個性を伸ばす教育の真の目的はここにあり、完璧な秀才を育てるのでなく無く、
多少の失敗は笑って許し、チャレンジする事を励ます教育が大切と思う。
様々な価値観が相互に刺激し合い、新しい価値観を生み、個性が確立していく。
ベンチャー起業家もこの中から生まれ、新しい産業が雇用を生みだす。
多様なライフスタイルに対応したサービスを提供できる企業が求められている。
これが私のイメージする「e-Japan」構想の目指す社会である。