インターネットは情報の海である。
油断するとすぐ溺れてしまう。
もともと私はマメでは無いから、最近は大いに困惑し困ることが多い。
今から20年前、まさにインターネットの黎明期。
熊本の有志が集まり、メーリングリストを作り、電話回線を用いモデムでインターネットを始めた。
ブラウザが出現する数年前である。
この時取得したIPアドレスを歴史的PIアドレスと呼ぶ、間違いでは無い、PIアドレスと呼んでいる。
こうして私のインターネットとの付き合いは始まった。
モザイクという世界初のブラウザとの衝撃的な出会いを経て、Windows95発売を契機としてWWWサーバーが一気に普及し、ISDN回線からADSL回線、そして光回線と一気に高速化した。
この間、「ダウンサイズ」、「IT革命」、「2000年問題」などのキーワードは巷を騒がせた。
最近では「クラウド」である。
本来、知的活動は深い思索の海をただよい、一筋の光を見つけ、それを理論体系化して汎用的な言語化という作業をへてやっと人さまの目にふれる文書という形になる工程である。
しかし最近はネット調査と称するコピー文化がはびこり、一見もっともらしいがオリジナル性に欠ける情報が氾濫している。
当然、調査は重要である。簡便なネットを活用するのも良いだろう。
しかし、オリジナル性の重要さが軽視されてはいないだろうか?
私の大学のゼミでは、考える、議論する、オリジナルなアイデアを生み出す事にこだわっている。
当然、膨大な調査も行うが、それより切磋琢磨の議論を重視する。自ら調査し、学び、議論し、自分の意見を述べ、他人の意見を吟味し、最良のアイデアに到達するまで悩み考え続ける。
当然時間はかかる。しかしこの時間が必要なのである。
インターネットは道具である。どんどん速く、便利になっていく。
しかしあくまでも考える道具である。
道具が速くなっても思考は別である。